■地元出身
■久が原に住んで37年「大家さん」という言葉を良く使っていますが、考えてみるとなかなかわからない言葉の一つです。
もともとは同じ家屋の1階に居住して2階を間貸ししている下宿業や、同じ敷地内に別棟の共同住宅を建てて「アパート」として貸している人を「大家さん」とか、家主(やぬし)さんとか呼んでいたようです。
「大家さん」の本当の呼び名は「家主」=イエヌシか「家守」=ヤモリと呼ばれていたようです。大家さんという呼び方は俗称だったようです。
江戸時代に、江戸の町へと人々の移動が多くなり、新たに町内に越してくる未知の者の保証と認知・監督する人が必要となり始め、これが「大家」に発展していったようです。
ですから、大家は地主に「代理人」や「公務上の仕事」を与えられるようになった時代の流れと社会的発展がありました。
そして、家主は仕事上、戸籍上は家主と書き、すなわち家守、別に私的には大屋とも言いました。
家主は地主の地面を支配し、地代・店賃を店子から集めて地主に納め、公用・町用を勤め、自身番所に出て非常を守る職をしていました。
ちなみに、番所とは、江戸時代、江戸市中警備のためにしないの4つ辻に設けた交番のことで、町内の家主が各自の番組(プログラム)を定め、交代でここに詰めて町内の出来事を処理していたところです。
時代は移り変わり、明治維新(1868年)の変革によって武士と家主は消滅しました。
明治6年、東京府は「家守」の呼称を「差配人」=サハイニンと正式に改称しました。
これ以降「差配人」が不動産の管理業として名実共に分離独立せざるを得なくなったわけです。
整理してみますと、大家の変わりに店子から賃貸を集め、貸家を管理する仕事が差配人であり、変じてこれが不動産業のはしりとなったものと推測されます。

